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山口・宇部のヨガ教室 なちゅらみヨーガ主宰のmisaoです。yogaのこと、自然活動も


by misayoga
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カテゴリ:■日々のこと( 37 )

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男手 おとこで

この言葉は、高知に行ってから何度となく聞いた言葉です

移住された方からも、本当によく聞きます

草刈とか、車のこととか、農作業とか、男手がいるよーって

女性という性質で生まれてきて、肉体的に無理なこと、重たいものを持つこととか、危険な場所での作業とか

人によるとは思いますが、わたしは車のこととか、詳しいこと、分からない。。

都会や町で暮らしていると、たいていのことは一人で出来るし、逆に一人で何でもできるようになることがオトナというか、ちゃんとしているような感じがしていたけれど、、、そうではないのかもしれないと思い始めました。

ゆずの収穫で、木の高いところに成っている実を取るのには脚立を使うのだけど、ついつい自分で出来る限りやっちゃおう、いやなんならチャレンジして出来るようになりたいくらいに思っていたんだけど

男の人がたくさんいる日には、脚立のらなくていいからね、って聞いて

日常で、男の人、女の人、っていう感じの会話なんてほとんどなかったから、へー!という感覚でした

最初から無理しないで、素直にお願いしたらいいんだよね

なんで全て出来るようにならなきゃいけないと思っていたんだろうという思ったり

そんな状態だから、いざお願いしようと思っても、なかなか頼めないということも起こり

あの人がちょうど近くに来た時に言おう とか思うのだけど、いいタイミングが見つけられなかったり

さっきまでふざけて話していたのに、お願いするときだけ急におとなしく恐縮してしまったり、事務的になったり、

ただお願いするってことが、以外と難しい!のです


いやー、なんてことでしょうね もっと可愛く言えないもんかね!笑

男の人も、それはそれで何でも重いものを頼まれて 大変そうだなぁと見ていて思うこともあったけど

だからこそ、ありがたいな という気持ちも生まれたりして


農作業のこと以外でも、なにかにつけてキチンとしてなきゃって思ってたのが

もっともっと甘えてもいいんだよ~っていってくれる人がいて

小さな小さな べつにどっちでもいいんだけど って思い込んでいた 小さな希望を

(体が疲れてるから明日休みたいこととか)

抑えないで わがままに感じるけど 言うようにしてみたら

いいよ~ いいよ~ って言ってもらって

仕事なんだから 大変でも疲れてても やらなきゃいけないからやると思ってたし

自分の都合で 自分の体が疲れているから 明日休みたいということとか

それは はじめとても居心地が悪いくらいなんだけど 言ってもいいんだなぁって思えるようになって

ゆずの仕事をしながら どれだけのものを受け取ったのだろうと 感謝しつくせないくらいです




by misayoga | 2017-01-15 01:34 | ■日々のこと
11月から12月にかけて滞在した高知県香美市。

柚子収穫のシーズンに合わせてアルバイトにいってきました。

そこではたくさんの出会いがあり、同じ日本でありながら、インドの山奥のような雰囲気を残す集落もあり、シンプルな原始的な山暮らしに、ぐっとハートをつかまれたのです。

水道ではなく、そのまま山の水がひかれていたり、夕方になると、家々から薪の煙が上がってくる風景とか。

山の天気は、太陽が昇ってくるまでとても寒くて、太陽が出てきたときに、「たいようでたーーー!!!」というほどありがたい存在、いのちを繋いでくれるものなんだと感じたり。

猟師さんが軽トラに猪をのせてきて、熱湯で毛を抜かれ、食べれるお肉となり、まきストーブで焼いて、解体中の様子を見ながら食べたり。

生姜が、スーパーで売られているような生姜が、まだ切り分けられる前の、ずらずらずらっと連なった状態の生姜を、食べるかね?ともらったり。

そこらへんで茶の木が生えていて、お昼を食べるのに、お茶葉を摘んでくるところからお茶を入れたり。

ご飯を作る時の野菜の切れ端とか、普通ならゴミに出さなきゃいけないものが、にわとりの餌になるから、ごみがとても少ないこととか。

旬の野菜を食べましょうというけれど、いつが旬なのかよく分からないことがあると思うけど、スーパーに年中売られている野菜は超高くて、旬のものは買わなくても、だれかからおすそ分けがやってきて、それをどう腐らせずに食べ切るか考えるのが大変だったこととか。

ていうことは、旬の野菜を食べていたら、飢えることはないんじゃないかな、すごい高いお金出してスーパーで買わなくてもいんじゃない?とか。

その一つ一つに、感動したり、わくわくしたり、わたしは、こういうことに本当に胸がときめくのです!

食べているものの、最初の姿を知っていることってとても大切なことのような気がします。

買うだけの生活だと、最後までキレイにパッケージしてあって、それ以上そのものについて想像してみることがあまりない。

味噌だってほんとは、大豆と塩と麹からできていて、作り方もシンプルだし、自分で作れる。


ちなみに、お茶。そこらへんに生えていたお茶の木を枝も含めて摘んできて、カセットコンロの火であぶる。

それを適当に短く切って、やかんに水と枝とお茶の葉を入れて、煎じる。以上!

すごく難しいお茶のつくり方をマスターしなくても、お茶を楽しめるのです。

このお茶、香りが最高でした!台湾のウーロン茶みたいな、香りを楽しむようなお茶になった。


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お茶の葉を覚えたら、帰ってきたときに隣の家の庭にも、お茶の木が植えられていることにも気づきました。

体験て、すごく体に残るのだ。

by misayoga | 2017-01-14 22:55 | ■日々のこと
新年が明けて、もう2週間がたつのですね。

すっかり日常を取り戻すころだと思いますが、わたしは年末バタバタと落ち着かず

ようやく2016年を振り返ってみたところです。

(ほぼ毎年年末に振り返りと新年の目標を立てています)

自分でも、なぜこうしているのか、こうなったのかが、分からないまま、

混乱したままの時期で、まったくなにもできなかったとしか思い出せない年だけど

そのまま終わらすのも。。。と思って、きちんとメールやら、手帳をみて振り返ったら

新しく企業様でのヨガクラスがスタートしたり、岩盤ヨガのオープンクラスがおかげさまで

盛況となり、たくさんの新しい人たちとヨガをする機会をいただいていました。

10月のイベントでも、タロットやハーブ商品を作ってみたり、チャレンジもたくさんありました。


頭の中では理解できなくても、何かを選んでいるのですね。

レギュラークラスをクローズしたことについて、少しヨガ教室と距離をおくことについて、

なかなか自分を肯定しきれなかったのですが、ようやくこれでよいと思えるようになりました。

なんというか、ヨガも、インドにいくことも、土に触れることも、タロットや占星術で宇宙の壮大な仕組みと自分の繋がりを確認することも、ハーブを体に取り入れることも、全部つながっていて、バラバラのことをやっているわけじゃないのです。

だって、心と身体は切り離せないし、その体は自然の宇宙のサイクルと連動して、季節に合った食事をして、取り入れて、出して、循環して、この体を保っていて、身近な植物や野菜も、季節や宇宙のサイクルで生きていて、私たち人間も生き物である限りそれは一緒で、その壮大な宇宙とか星とか、そんなとおくとおくに思いを馳せて、研究されたものが、占星術や、シンボルや、タロット。

探求したいという気持ちが消えることはなくて、ただそのやり方を変えたり、違う角度からみてみようということです。

もっともっとヨガを突き詰めて、という気持ちがないわけではないのだけど、そのやり方が外から見て分かりやすい、○○の資格とか、そいういうものではなくて、ほんとのほんとのほんとは、何をどう感じているのかをみれるスペースをもっていきたい。

というところにいるわたしです。

みんな、今、どんなところにいますか?







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by misayoga | 2017-01-14 22:22 | ■日々のこと
2016年11月から12月にかけて、高知県に短期滞在していました。

年始のごあいさつが遅くなりました。

2016年も、たくさんの新しい方と一緒にヨガの時間を持つことができて、楽しい時間を過ごせました。

本当に、ありがとうございます。

2017年も、ヨガだけでなく、何かの形でかかわったり、出会ったりすることを楽しみに、日々を過ごしていきたいです。

どうぞよろしくお願いします!


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by misayoga | 2017-01-14 22:02 | ■日々のこと
小さいころはひどいアトピーで、よく親に掻いてもらっていた。

大人になってからそれを振り返ると、それは ”わたしに触れてほしい” という愛情を求める一つの形だったんだなと思う。

小さい時は、親が全てで、それは親にやってもらわなければ意味がなかったのだと思う。

今は大人だから、自分の体をよしよしと自分で触れることができる。

とても安全に、自分に愛を注ぐことができる。

ただ、自分自身で優しく触れていくのだ。

可愛くてたまらない猫を、可愛いねぇとつぶやきながら、からだをさするように

わたし自身を可愛いねぇと想いながら、ただただ、腕や足やいろんなところを

さすってやるのだ。

どれくらいの強さでやるか、肌と触れ合う密着感はこれくらいがいいとか、探りながら。

ヨガで柔軟性がついたおかげで、背中の方までしっかりと手が届くようになって

背中の特に腎臓のあたりが疲れたなぁと感じる時には、とてもよく効く。

その手のあたたかさがしみるようだ。

ここ数年、お風呂上がりのボディオイルが欠かせなくなっていて、

それは乾燥防止からはじめたことなんだけど、すみからすみまで触れるというのは

とても大事な気がしている。

いつも同じところばかりだったのが、だんだん、ここは忘れがちだったな、ここにも触れてみようとか

この脂肪を絞り落そうとする自分に気づいて、そんな今の体を否定するような触れ方はやめようとか、

いや、でもこの重たいもたついた感じを落としたいから、絞る感じでやっちゃおうとか、

時によって、いろんな気持ち、いらいらとか、気持ちよさとかが交錯しながら、日々くりかえす。

慣れてくると、ダイナミックに、マッサージのロングストロークのように、いい流れで触れられるようになったりして

楽しいのだ。たまにめんどくさいときもあるけどね。

オイルじゃなくても、朝起きてからでも、いっぱいさすってやるんだ。





by misayoga | 2016-09-18 22:05 | ■日々のこと
9月17日の満月、満月のせいにしてしまうけど、エネルギー的にとてもしんどい日だった。

朝から、いやそんなデリケートなところに触れるような記事!これは見てはいかん!と思うようなFBの記事があって、すごく痛かった。

デリケートなところにばんばんボールが飛び込んでくるような感じで、体調を崩す。

たぶんその前から、少し崩れていたのだと思うけれど、久しぶりに内側の感情が暴れてのたうちまわる感じだ。

それを、あの人のせいにして、あのことのせいにして、何かのせいにして、苦し紛れの言葉を吐く。(内側で)

大体、人のせいにしたくなっているときは、そのエネルギーの分だけ必ず自分がまだできることがあるはずだから、出来ることを行動でやった。

体調を崩す理由も時と場合によって色々あるけれど、人のせいにしたくて、自分のせいにしたくなくて、自分の体調を崩すというのも、わたしがもつ一つのパターンだと認識している。

だって、わたしは弱いから、私は今悪くない。起きてることに堂々と直面できないから寝込む。みたいなことです。

自分の出す答え、イエス、ノーを誰かのせいにしたくて、お金のせいにしたくて、そんなこと自分には出来ないから、と自分を低く見たりする。

時に、本当に向いてないこともあると思ってるけど。

シンプルに、イエス、ノー、それで終わり。なのに、終わりにしないでごちゃごちゃいうのだ。自分の内側で。

これが疲れさせるんだよね。

でも、相手には言わないけど、内側で相手のせいにするようなことを言って、感情だけを昇華させて、自分でできることもやって、しばらくしたら落ち着いてきた。

いったん相手のせいにしたり、なんであの人はそういう態度に出るのだろう?わかんないよ!ってところから、

落ち着くと、ああ、そういうことだったのかな、とか、わたしにも同じところがあるな、出し方が違うだけで、というのが見えてくる。

だから、その人には直接ぶつけないけど、へんにわかった人のふりをするよりも、それは自分の感情としてOKなんだって、内側で味わう。

これ、まだ頭でやってるのかもしれないし、よく分からないのだけど、ただぶった切るだけよりずっとましな気がしている。

一旦、相手を嫌いと思ったり、否定したり、ジャッジした後の方が、相手のことが受け入れやすいね。

ジャッジしないとよくいってしまってたけど、自分が何をどう見ているか分からないままより、

一旦ジャッジして、自分が何をどう見ている、何に価値を置いて、善悪としているか、快不快と思っているか、それを知ってからの「ジャッジしない」じゃないと、なにがなんだか分からないんじゃないかなーと最近は思う。





by misayoga | 2016-09-18 21:41 | ■日々のこと

何もしないということ


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4月でヨガクラスを全てクローズして、イベントなどの単発のお仕事をさせていただいてます。

大阪に行くといいながらも、大阪で色々見て回る中で、しっくりくる場を見つけられず今に至ります。

結局内側がしっくりきていないのだということだと思います。

まるでニートのように、家の中で、さらに内側にこもってこもってこもっていました。

その中でも毎月のようにどこかに出かけて、誰かに出会ったいましたが。

実態はニートですね(笑)恥ずかしいですよ。本当は。

それでも、この歳になっても受け入れられなかった自分の姿が浮き彫りになって、こういう時間が持てたことをありがたく思っています。

仕事をしない、ただ寝て、起きて、食べて、息をして、少し出かけて、呼吸して、身体を動かして、また寝る。

ただ生きているだけの時間。家族は珍しく何も言わなかった。

ただ、この生きづらいのは自分が意地を張ってそれを変えられなくなっていることで。

それがよく分かったから、ギュッとしたきついものを、もうやーめた!と言いたくて。

そこまで来たら、見える風景や受け取る感覚が変わってきて、もうここにこうやってただ生きているだけで

愛されているんだなぁと感じました。

ここまで何もしなくても、生きていられる。生きて存在していること自体が、本当に愛なのだなぁと。

よく本で読んでいたけれど、そういうことなのかと。

何か激変があったわけではないけど、じんわりと実感しました。


この何もしない期間に、いろいろなものが湧いてきたのも面白かった。

ここには書かないけど、家族とのこと。インナーチャイルドの声が聞こえたり、聞こえなかったり。


本当は、大阪にいって何がしたいかというと、ただシンプルに淡々と、食べたいものを作って、食べて、丁寧に感じたかった。

他人の中に紛れて自分のスペースを持ちたかった。美しいものをみたり、いろんな人の生きる様をみたかった。

「何かやらなきゃ」ではなくて、何もしないでいることから湧いてくるものを待ちたかった。それを見たかった。

これまで、自分がそれをできるベース、時間なり、お金なりを結局は築けなかったのだよね。

時間を作ったり、スペースをとったり、やりすぎなものを捨てることができなかったのだ。

この、大阪に行けてない時点で、本当にダサいな私、たくさんの人を巻き込んだのにと思います。

あのままクラスを続けていても、内面のぐちゃぐちゃさは隠せなかっただろうとも思います。


まるで、パンドラの箱を開けてしまったようなこの数カ月です。

I'm a mess!!!

かっこわるい自分をさらすような時間があったから開けてきたものがあったり

続けてきた大切なヨガ教室を手放したことで、「え!そこから??」という話が舞い込んだり

まだまだ明確にしなければこのぐらぐらは続いていくのだろうなというポイントが見えてきたり

ただ、いるだけで受け取ることができるのだということとか

人と考えが違ってもはっきりと伝えなければいけないこととか

結構な悪な部分も 日常に紛れていた混乱の根っこが見えてきた








by misayoga | 2016-09-05 11:46 | ■日々のこと
好きなこと 好きなもの 興味あることを言葉にしていたり

そういうところに足を運んでいると

どこかで誰かが聞いていて 次のステージへの切符を手渡してくれることがある

大学卒業後にはじめてインドにいったのも 

ヴィパッサナーでヨガを紹介してくれた人も

森でヨガをしはじめたときも

ハーブ講座を紹介してもらった時も

2年前にインドを再訪したときも

今回高知に野草摘みにいったことも

そう、香川にもいって 高知にも行きました

こんな美しい風景の中で そこらへんに普通にある いくつもの野草を摘みました

クワ、ドクダミ、ミツバ、ヒトツバ、クサギ、クロモジ
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これはカニクサ 乾燥させてお茶で飲んだら 最後にピリリと効いてきた
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珍しい形の滝 あの滝壺に飛び込みたいよねー!
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どしどしやってくるご縁やチャンス これから何を選ぶのか

周りから見ると わたしは何をやっている人なのかわからないかもしれないね

ヨガ 野草 ハーブ 占星術 タロット ボディワーク 辺りは わたしにとっていつも近くて当たり前なもののようだ

今 野草が急上昇

そのあたりの範囲の中で 本当にいろんな講座を受けたり 人にあったりしてきた

20代後半から30代前半にかけて 集中的に

それはちょうど占星術でいう太陽期(26歳~35歳)と言われる年齢で、自分を社会で輝かせるために

わたしってなんなんだ?って 人生のテーマを見つけていくという時期

そういうのは最近知ったのだけど 振り返るとばっちり当てはまっていて

あの何でもやってみた時期は 必然で あの時代があるからこそ今があるのだなとよく分かる

そして 火星期は36歳~45歳 自分のテーマを追求していく 火を燃やしていく!時期

中年の危機という色々も占星術で調べると出てきますが、わたしはその危機のあるタイミングで

実家に戻ったのが36歳で そこからヨガ教室を始めるという これまたピッタリなのです

そして今は45歳まで 自分のテーマをとことんやっていく時期 中年の危機もあといくつかやってくるようですが

あと数年間 自分の持てる力を出していきたい まだ遠慮していたり 

どーせわたしなんてという影が なかなか表に出たがらなかったところも

そろそろ光を当てて良いのではないか 最初から上手く出来るとか 得意だからやるというより

下手でもいいから始めること 今まで言葉にしていなかったことを あらわしていくこと

そこにはいつもヨガというベースがあるから どこかで客観的に見るということができるのかも

だから やっぱりヨガは わたしにとって ただの健康体操ではないのです

健康になるためにヨガをする というのもとても健全であり それ以上の恩恵も受けられる

ヨガの時間に 感じてくださいといっていること 気持ちいいだけじゃなくて 不快感も結構大事

小さな違和感はとても大事で 違和感にどこかで気づきながらいることは 次への小さな鍵になる

それは 好きじゃないってこと 好きなことと 好きじゃないことを はっきり分かるって大事だなと最近特に思う


ヨガをしている間に 何を感じているか それは自由だし それそのものがあなただから

人と違って当たり前で 同時に 共通のものも持っていると思う


10月1日土曜日の朝 あすとぴあの芝生のカフェで 朝ヨガします

ヨガ+瞑想+ランチ 定員30名 半分以上埋まってきましたのでご興味あるかたはご予約お待ちしています

タロット(12-17時)のご予約も受付中❤10分1000円~ 希望のお時間をお知らせください

★ご予約はわたしまで 詳しくはこちら⇒★★★








by misayoga | 2016-09-03 16:53 | ■日々のこと

内側に求める

世の中的には、目に見える活動の部分で評価をしたりされやすいけど

それはそのように見えているけれども、その質、実質、内面とは

かならずしもイコールではないと思う。


何回やってもうまくいかない関わりは、自分のへんな執着が取れた時に

より自然な関わりと健全な欲求が持てるような気がうっすらしている。


まだうっすら。でもたぶん本当だろう。


今までほったらかしだった内側の泣いている自分を


いつまでほったらかしにしてるの?


まずは自分で面倒みなきゃね。

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by misayoga | 2016-07-13 18:23 | ■日々のこと
さすがに10日間沈黙でいるので、座って瞑想している時以外にもいろんな気づきがあります。

期間中半分くらいなって、周りの人が気になってきました。

今までこんなことなかったのだけど、めっちゃ度の低いメガネかけてるから、周りの人のこと

ほとんど見えてないのに気になり始めて。

そうすると自分の肉体の輪郭の範囲内に集中してたエネルギーが薄くなっていく感じがして

どうしようかと庭を散歩していた。ぼーっと。

そしたら、歩きながら揺れる股関節とか、左右の違和感とか、凝っていた体が歩くことで

ゆらゆらとほぐされていって、その肉体にもう一度意識が集まってきたのです。

あー、そうか。からだ、からだ。

からだに戻ることに意識を向けたら、ぼんやりひろがっていたエネルギーが戻ってきた感じ。

それからは、意識がぼんやりした時には、呼吸もそうだけど、からだ、からだって戻ってました!


そして、食べるものについても、取り入れたものが体にどう影響するのかを実感しました。

基本菜食のメニューで、刺激物は少ない。

玄米、白米、おかゆ、スープ、野菜の何か1品、未精製の小麦粉でできたパン、フルーツなどがでます。

本当に座っている意外動かないので、正直あまりお腹はすきません。

でも、目が食べたくなってくる。目が欲しがるというか。


ごはんが好きなので、基本玄米を食べていたのだけど、みんなが食べているパンが

本当に美味しそうで、3日くらいはスルーしていたのだけど、今日はパンを食べよう!と決めました。

ごはんは必須なので、ごはん少々+パン しかも小さいの2枚。1枚で我慢できない。

トーストして、ごまペーストにいちごジャム!

ああー!念願のパンに甘いもの!


これまで砂糖も、てんさいとうをごく控えめにしかとっていなかったので、とっても満足感があった。

そして、正確なところは、8分目を少々超えたなという感覚。

それでも、欲しがっていたものを自分に与えた満足感は十分に感じました。


そしてその日の瞑想は、、、ちょっと興奮していた感じです。

たぶん、ジャムでたっぷりとった砂糖だと思う。

ごはんだけの静けさより、少しばかり内側で何かがジャンピングしている感じ。

砂糖が中毒になるとか言われてるのはそういうことかなと。


これも面白かったなぁ。

食べることは、日常的すぎて気を付ければとてもいろんなことに気づけるけど

繊細になりすぎると、窮屈にしてしまう可能性もある。

でも、ここでの食事はいつもすべて美味しいのです。


さて、ヴィパッサナー体験についてはこれで終了。

今回いってよかったのは、これらの体験と共に、出会った人々もありました。

毎回、だれかとつながって、もう一度会いにいったり、その後も長く続いたりします。

実は、ヴィパッサナー今回で最後かもなんて思っていたのだけど、また次があるかもしれないな。

今度7/31日曜に初めて京都のセンターで見学会があるそう。興味のある方はぜひ!

京都ダンマバーヌ 一般見学会のご案内
by misayoga | 2016-07-13 17:35 | ■日々のこと